お店で食べるような、スパイスの香りが立体的で奥深いスープカレー。
自宅で作ろうとすると、単なる「カレー味のスープ」になってしまったり、逆にスパイスを揃えるだけで疲弊してしまったりすることはありませんか?
実は、プロの料理人は特別な魔法を使っているわけではありません。
食材が持つ物理的な特性と、味覚の相互作用を論理的に組み立てているだけなのです。
今回ご紹介するのは、日本料理の雄・笠原将弘氏が提案する「笠原流スープカレー」。
一見シンプルに見える工程の中に、フレンチの技法や和食の知恵、そして食品科学の理にかなった「旨味の重層構造」が隠されています。
なぜそのタイミングで入れるのか?なぜその切り方なのか?
全ての工程に隠された「技術的な理由」を紐解くことで、あなたの料理レベルは確実にワンランクアップします。
動画紹介
動画タイトル: 簡単に作れて驚きの本格味!笠原流【スープカレー】
ポイント①:香味野菜の「ペースト化」による旨味土台の構築

(★対象時間:11:24付近)
スープカレーにおける最大の課題は、とろみがない分、味が舌に留まりにくいという物理的な性質です。
ルーカレーのように小麦粉の粘度で旨味をコーティングできないため、スープそのものの「旨味濃度」を極限まで高める必要があります。
笠原氏はここで、野菜を「具材」と「出汁(ベース)」の2種類に明確に役割分担させています。
特に重要なのがベースとなる玉ねぎ、セロリ、トマトの扱いです。
これらを薄切りにし、塩を振って強めの火加減で徹底的に炒める工程には、明確な化学的意図が存在します。
まず、塩による浸透圧効果で野菜の細胞壁を破壊し、内部の水分を強制的に排出させます。
そして、水分を飛ばしながら加熱することで「メイラード反応」と「キャラメリゼ」を同時に誘発させます。
ここで生成される褐色の物質(メラノイジン)こそが、スープに深みを与える正体です。
単に煮込むだけでは、野菜の甘みや香りは抽出されきりません。
油の中で高温加熱し、ペースト状になるまで凝縮させることで、揮発性の香味成分を油に閉じ込め、後のスープに爆発的なコクをもたらす「旨味の爆弾」を作り出しているのです。
【分かりやすく言うと!】
スープカレーはサラサラして味が薄くなりがちです。
そこで、最初に野菜をクタクタになるまで炒めて「超濃厚な野菜ジャム」のようなものを作ります。
これがスープの素になり、長時間煮込まなくても、まるで何日も煮込んだような深い味を出すことができるのです。
ポイント②:スパイスの「テンパリング」と脂溶性香気の抽出

(★対象時間:11:41付近)
多くの家庭料理で犯しがちなミスが、「スパイスを水(スープ)に入れてしまう」ことです。
しかし、笠原氏の技術はここでも理にかなっています。
スパイスに含まれる香り成分(精油)や辛味成分(カプサイシンなど)の多くは「脂溶性」、つまり油に溶け出しやすく、水には溶けにくい性質を持っています。
動画内で笠原氏は、水を入れる前の「炒めた野菜と油が共存している状態」でカレー粉、カルダモン、クミンを投入しています。
これをインド料理の技法で「テンパリング(またはブルーミング)」と呼びます。(参照:エスビー食品株式会社 スパイスの香りを油に引き出す~「テンパリング」「スタータースパイス」「タルカ」~)
高温の油にスパイスを接触させることで、スパイスごとの細胞組織を開かせ、眠っていた香りを覚醒させます。
特にカルダモンは「スパイスの女王」と呼ばれ、清涼感のあるトップノートを担当しますが、この熱処理を行うかどうかで香りの立ち方が劇的に変化します。
また、この工程で粉っぽさを焼き飛ばすことも重要です。
スパイスが生のままだと粉っぽい舌触りが残りますが、油で炒めることでペーストと一体化し、スープに滑らかに溶け込む準備が整うのです。
【分かりやすく言うと!】
スパイスの香りは「油」に乗ってやってきます。
水を入れてからカレー粉を入れるのではなく、炒めている最中の「油」がある状態で粉を入れるのが鉄則です。
こうすることで、スパイスの香りが油に移り、お店のような「鼻に抜ける本格的な香り」が生まれます。
ポイント③:デグラッセによる「メイラード反応」の完全回収

(★対象時間:12:54付近)
水を注いだ直後、笠原氏が「フライパンの底とかをこそげるといいよ」と発言し、ヘラで鍋肌を擦っています。
これはフランス料理でいう「デグラッセ(Déglacer)」という高度な技法です。(参照:ビジプリ 飲食業界におけるデグラッセとは?)
これまでの工程で鶏肉を焼いた際に出た脂、野菜を炒めた際に鍋肌にこびりついた茶色い膜、これらは汚れや焦げではなく、アミノ酸と糖が反応して生まれた「旨味の結晶(フォンド)」です。
このフォンドは水溶性であるため、水を加えて加熱することで溶かし出すことができます。
多くの人がこの茶色い部分を「焦げそうだから」と避けてしまったり、洗う時に捨ててしまったりしますが、こここそが最も味の強い部分です。
笠原氏は水を加えた瞬間、物理的にヘラでこそげ落とし、スープという液体の中に旨味の結晶を還元させています。
この一手間があるかないかで、スープのボディ(厚み)は天と地ほどの差が生まれます。
【分かりやすく言うと!】
フライパンの底にこびりついた茶色い跡は、旨味の塊です。
水を足したときに、これをしっかり溶かし込んでください。
お鍋を洗うようにこそげ落とすことで、お肉と野菜の全ての旨味をスープの中に回収することができます。
ポイント④:イノシン酸×グルタミン酸の相乗効果と「味噌」の架橋

(★対象時間:13:28付近)
ここで登場するのが、笠原流の真骨頂である「味噌」の投入です。
一見、和風カレーにするための隠し味に見えますが、これは科学的に非常に合理的な「旨味の相乗効果」を狙ったアプローチです。
今回のスープカレーの旨味構成を分析すると以下のようになります。
- 鶏肉(手羽元): イノシン酸(動物性旨味)
- トマト・玉ねぎ・セロリ: グルタミン酸(植物性旨味)
この2つが合わさるだけでも旨味は増幅しますが、そこに「発酵調味料」である味噌(グルタミン酸の塊)を加えることで、旨味の濃度が飽和点まで引き上げられます。
さらに味噌には、大豆由来のコクや熟成香が含まれており、これが短時間調理では出せない「煮込み感(寝かせた味)」を擬似的に作り出します。
また、味噌のコロイド粒子は、水と油を乳化させる手助けもします。
スープカレーのように油が浮きやすい料理において、味噌が繋ぎとなることで、口当たりがまろやかになり、スパイスの角が取れて全体の調和が生まれます。
これは札幌味噌ラーメンが持つ「脂と味噌の親和性」をスープカレーに応用した、非常にクレバーな設計です。
【分かりやすく言うと!】
鶏肉と野菜だけだと、どうしても「あっさり」しすぎてしまいます。
そこに味噌を入れることで、一晩寝かせたような「コク」と「とろみ」が生まれます。
味噌は日本のスーパーフードであり、カレーのスパイシーさと喧嘩せず、驚くほど濃厚な土台を作ってくれる最強のパートナーです。
ポイント⑤:別調理による「テクスチャ・コントロール」と吸油率の制御

(★対象時間:16:28付近)
スープカレーの醍醐味は、ゴロゴロとした大きな野菜です。
しかし、これらを全てスープと一緒に煮込んでしまうと、煮崩れて食感が失われるだけでなく、野菜の色素が抜け落ちて見た目も悪くなります。
笠原氏はトッピング用の野菜を「揚げ焼き」にし、後乗せする手法をとっています。
特筆すべきはナスの調理法です。
「皮目から焼く」という指示には明確な理由があります。
ナスの果肉はスポンジ状の構造をしており、切り口(果肉側)から油に入れると、瞬時に大量の油を吸い込んでしまいます。
これではカロリー過多になるだけでなく、食べた時に油っぽく感じてしまいます。
皮側にはクチクラ層という硬い組織があり、油を弾きます。
まず皮側を高温の油で加熱することで、ナスの内部温度を上げつつ、皮の色素(ナスニン)を安定化させ、鮮やかな紫色をキープします。
その後、身の方を焼くことで、必要最小限の油でジューシーに仕上げることができるのです。
これは「吸油率」をコントロールするプロの火入れ技術です。
【分かりやすく言うと!】
飾り野菜は煮込まずに「焼いて、後乗せ」します。
特にナスは、身の方から焼くと油を吸いすぎてベチャベチャになってしまいます。
皮の方から焼くことで、油っぽくなるのを防ぎ、色も鮮やかで、トロッとした最高の食感に仕上げることができます。
まとめ
笠原将弘氏のスープカレーは、単なる「和風アレンジ」ではありませんでした。
野菜をペースト化する物理的濃縮、スパイスを油で開かせる化学的抽出、そして味噌という発酵調味料を用いた旨味の相乗効果。
これら全ての工程が、舌の上で感じる「美味しさ」のピークを最大化するために計算されています。
「なぜ美味しくなるのか」という理屈を知った上でキッチンに立てば、あなたの手から生み出される一皿は、もはや家庭料理の域を超えた芸術品となるでしょう。
ぜひ、この週末は札幌の風を感じながら、技術の粋を集めたスープカレーを作ってみてください。

